時代反映 人気土産様変わり
◇天空に向かい、そびえ立つ 東京タワー は、昭和33年12月23日に完成した。 西東京市に住む中島さん(68)は、その日をはっきり記憶している。
開業時は 東京タワー 足元にできたビル館内の放送案内係。 百貨店でアナウンスの訓練を受け、現場入りした。
快晴の空を見上げ、「ついに開塔だ」と胸が高鳴った。 早朝から5000人の招待客が、地上150メートルの大展望台へ向かう3台のエレベーターに押し寄せた。
「入場切符を買うのに1時間、さらにエレベーターにたどり着くまで1時間。客はジュークボックスから流れる音楽に耳を傾けて、ワクワクしながら順番を待っていたようです」と思い出す。
中島さんは大きな白い襟付きで、当時の流行色だったグレーのワンピース姿。 「ご来塔くださいましてありがとうございます」
声は大混雑にかき消されがちだった。 臨時のエレベーター嬢として、展望台に向かう時もあった。 当時、あこがれのエレベーター嬢の多くがバスガイド出身だった。
エレベーターは珍しく、中のじゅうたんを見て靴を脱ぎ出す客もいたという。 連日、長蛇の列が続き、観光バスが周辺にひしめいた。
東京タワー館内の100店もの土産店は大盛況。 建設直後は年間490万人が訪れた。
老舗の土産店「東龍堂」を30年以上切り盛りしてきた達富さん(82)は「開業時には通路に面した店の陳列棚が人波に押され、何度も押し返した」という。
土産には風呂敷や茶器、漆器といった家庭用品が好まれた。 今も昔も人気は東京タワーのミニチュア模型。
修学旅行生に優しく声をかける達さんの笑顔も変わっていない。 同じフロアの老舗点「東京堂」の店長、青山さん(72)は「東京タワー の立て札が付いた商品は何でも飛ぶように売れた」と懐かしむ。
当時は東京の観光名所を描いたペナントが大人気。 「努力」や「忍耐」と書かれたキーホルダーや色紙が続いた。
それが近頃では、東京タワー の名前入りの携帯ストラップに様代わりした。 「今の子供には努力や忍耐といってもピンとこないのでしょうね」と青山さんはしんみり。
ブームの沈静化と共に、土産店は17店にまで減った。 だが、「今も週末は観光客で通路が溢れます。あの頃と変わらないね」(青山さん)
東京タワー の周囲には超高層ビルの建設が相次いだが、展望台としての人気は健在だ。 「台湾や韓国などアジアからの観光客がこの10年で目立って増えた。『若い頃に上った』と懐かしむ年配客も多い」(青山さん)
東京タワー は50年を迎え、青山さんは「記念の腕時計やペンダントをお披露目したい」と意気盛ん。
達さんも「焼け跡から立ち上がった日本に立った 東京タワー。負けないように、私も身体が続く限り店に立ち続けたい」と笑顔を見せた。(村上智博)
(1月6日付産経新聞より)
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