◆夢も挫折もあの曲「東京」と from 秋田 歌い継がれるフォーク
街にクリスマスの灯がきらめき始めた昨年11月18日の夜。少し早めに仕事を終えた森田貢(52)は、世田谷の自宅の居間でテレビをつけた。
♪東京 へは もう何度も行きましたね
ベストセラー「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」を基にしたドラマが半分過ぎたあたりで、懐かしいメロディーが流れ始めた。
32年前、フォークグループ「マイペース」のボーカルとして自分が歌った「東京」を、沖縄のグループBEGINが歌っていた。
どういう風に使われるのか心配だった。ドラマの最初と最後にだけ流されて、全体のイメージづくりに使われるだけではないか。
ところが、原曲に割りと忠実な上に、物語の時代設定と調和して聞こえた。そして放送が終わりに近づいた時、今度は自分が歌った「東京」が流れた。
「よかったね」。隣で見ていた妻が微笑んだ。

「レコーディングできる曲ある?」
73年、東京 の音楽雑誌の編集長の一言から「東京」が産声を上げた。
秋田にいる頃は、ラジオからかすかに流れる深夜番組にかじりつきながら 東京 に思いをはせた。
一方で「秋田より3段上にある 東京」への対抗意識もあった。その気持ちを曲作りにぶつけた。
出身が同じ秋田のフォーク歌手山平和彦のバックバンドとして活動するため、中学の同級生だったメンバーと一緒に名古屋に来て1年たった頃だった。
そろそろ独立して自分たちの歌を歌いたいという気持ちも出てきていた。曲はすぐ思い浮かんだ。その頃交際していた女性がいた。
就職で上京したその女性に会うため、森田は月に1回ほど新幹線で名古屋と 東京 を行き来していた。
会社員生活を満喫する彼女と、バンド生活に打ち込む自分。いつしか心が離れていった。
◇
「東京」がヒットして忙しくなった森田たちは上京した。マネジャーが住む恵比寿で2DKのマンションを借りて、メンバーと合宿のように暮らした。
自分たちの歌いたい曲とは関係なく仕事が来る。時代はフォークからニューミュージックに移ろうとしていた。
一方で新しい曲を歌っても、結局、「東京」をリクエストされる。「売れているのはうれしいが、芸能界で成功することが最終的な目標じゃなかった」
デビューからわずか1年半後、マイペースは活動を休止した。「東京 へ来たら、祭りが終ったという感じだった」
◇
森田は今、BGMなどを作る音響プロデューサーをしている。一人歩きをしていた自分の曲「東京」に対する気持ちも、時が経つと共に変わった。
カラオケがはやり始めた頃、同僚に連れられた店で「東京」をリクエストしてみた。
流れてきたのは敏いとうとハッピー&ブルーが歌うコーラス調の歌だった。全く違う曲調に、最初は違和感を感じていた。
しかし、今では「いろんな形で使える曲なんだ」と、受け入れられるようになった自分がいる。
(敬称略)
(1月3日付朝日新聞「in to 東京2」 より)