◆政治家のホームページの中味もずいぶん賑やかになっている。
政治活動を写真入で紹介するのは序の口で、中には自らを愛称で呼んで○○坊日記としてみたり。軽ーいノリでとっつきやすさを演出しようというわけである。
昨年の総選挙で、民主党代表代行の藤井裕久氏を大差で破った自民党神奈川14区の赤間二郎代議士(38)は、8コマのマンガによる活動報告を続けているが、そのホームページのプロフィルには「理想の女性」として、<山口智子、松たか子のような顔立ちで性格的には控えめで場の雰囲気が読める女性>と。
赤間代議士が打ち明ける。
「31歳で県議になった時から、結婚 を考えていましたが、なかなか相手がいなくてね。県議2期目になっても駄目。年を重ねてきて焦りもありました」

が、意外や「理想の女性」は身近にいた。金子まみ子さん(32)。神奈川県相模原市出身のまみ子さんは都内の大学を卒業後、地元でOLをしていた。
父親は不動産会社と飲食店を経営している。
「まみ子さんの親族が県議時代からの支援者だったので、昨年の総選挙の時、協力してもらったのです。彼女は、ビラ配りやポスター貼りなどを手伝ってくれました。僕は、地元を駆けずり回ってどぶ板を地で行くタイプ。運動会があれば日に10箇所も回るし、人が集まる所には、どこでも顔を出します。車だけでなく、自転車やバイクでどんどん回る。そんなやり方を、彼女が気に入ってくれた」
総選挙後、まみ子さんはOLを辞め、赤間氏の私設秘書になった。
「頭の片隅に、彼女との結婚 を考えましたが、仕事に追われて、一度もデートしなかった」
初当選以来、一度も休みを取らず働いたという赤間代議士。政界入りしたのは、父・一之氏の影響だった。
「父は、読売新聞の社会部記者をしていて、福祉に関心が高かった。知的障害児の現状を紙面で連載したら、障害児とその親が家に来ましてね、もう生きていけないというのです。それで、父がその障害児を引き取って面倒をみるようになった。当時障害児は、特殊学級を出た後は、どこも行き場がなかったのです」
一之氏は昭和48年、相模原市長の選挙用のプレハブを借りて、障害児の就労の場「たんぽぽの家」を開所する。
「椎茸の栽培やミミズの養殖をやっていました。父はその後、読売新聞を退社して県議に。今では、誰でも福祉を公約に掲げますが、当時の自民党に、福祉を声高に叫ぶ議員は少なかった。施設を作っても利益を生まず、税金ばかりかかってしまうからです」
一之氏は地域福祉に尽力したことが評価され、今年の5月に旭日双光章を受賞した。
「僕が立教大学を卒業後、マンチェスター大学大学院で福祉を学んだのも、父親の姿を見てきたからです」
結婚 を決意したのはこの9月。が、結納も婚約指輪もなし。
「仕事で手一杯で、そんな余裕がないんですよ。プロポーズだってしていません。あうんの呼吸で結婚 を決めたようなものです」
結婚披露宴 は11月23日、横浜のインターコンチネンタルホテルに700人を招いて。
「総裁選、組閣とあったので、招待状はこれから発送します」
まみ子さんとの二人三脚の活動が、いずれホームページでも報告されるのだろう。
(週刊新潮10月19日号連載コラム「結婚」より)
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