結婚するのが怖いんです。
夫が、父みたいに暴力を振るうようになるかもしれないと思うと、踏み切れませんでした。 私が3歳の時、父は母と弟も連れて鹿児島から上京。
建築会社に就職し、設計や現場監督を任されていましたが、その後職を転々とし、慣れぬ営業の仕事で人に頭を下げて回ることもあったようです。
怒鳴ったり殴ったり暴れ放題の父に、母は泣かされっ放し。
「目が覚めたら、、良いお父さんになっていますように」毎晩、祈りながら寝ました。中学生の時、包丁を振り回す父から母を守ろうとして、右腕を切られた。
母は何度も離婚を考えたようです。「私がいないと、あの人は野垂れ死んでしまう」想い留まった理由を、話してくれました。
私は小さい頃から歌うのが好きで昭和音楽短大に進みました。
父は「金がかかる」と反対しましたが、母の取り成しで、バイトで学費を稼ぐ条件で許してもらいました。
ソロリサイタルなどで多忙だった96年末、母が、くも膜下出血で意識不明になりました。 翌年8月に亡くなるまで、父と2人で暮らした6ヶ月間は特につらかった。
父の声を聞くだけでおなかが痛くなり、吐くようになりました。
そのくせ、何か食べていないと不安で、過食症に陥りました。 朝、鏡を見ると、右のまぶたやほお、唇が垂れ下がっていました。 顔面神経痛と診断されました。

その父は2年前、75歳で亡くなりました。肺がんでした。
母がいつも「ありがとうは魔法の言葉。人を優しい笑顔にさせる」と言っていたのを思い出し、棺に入れた父への最初で最後の手紙は、こう結びました。
「天国で、お母さんに土下座して謝ってください。そして、手をつないで、ゆっくり歩いてください。お母さんと出会って、私をこの世に生み出してくれて、ありがとう」
父は仕事で、人付き合いで思い通りにいかないことがたくさんあったのでしょう。 不器用で、助けが必要な人だった。
家庭内暴力が無くなって欲しいと、私の経験や家族のきずなの大切さを全国各地で講演しています。
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(中島啓江さん オペラ歌手、ミュージカル女優。51歳)
(8月2日付け朝日新聞「おやじのせなか」より)