「私、結婚 したいのです。最近礼拝でお見掛けする○○さんですが、もしかして私に与えられた御心の人ではないでしょうか」
「残念ですね。彼は二児のパパですよ」 「ああ残念。良い方だと思ったのように」 教会に集う青年の結婚 問題は深刻です。
「不信者とつり合わないくびきを共にするな」(Ⅱコリント6・14)の教えに則って、牧師は通常、相手は信者の中から選ぶようにと勧めます。
ところが1%にも満たないクリスチャン人口の中で、しかも男女の比率がはなはだしく不均衡(恐らく男女比1対2)な現状では、事は容易ではありません。
数値を見る限りは、半数の女性はあぶれてしまうのです。この深刻な事態についての教会の対応策はとても「信仰的」でした。
「与えられると信じて祈り続けましょう」 「待ちましょう」 「委ねましょう」 です。
確かにその熱心が報われたケースは多々ありますし、それは感謝すべきことですが、一方では無念にも、あきらめ切れぬままに「悟らされの境地」に達した人も少なくありません。
「独身でいることが御心だったのよ」と。 本当にそれで良いのでしょうか。一昔前は、結婚 相手は牧師や長老が決めることになっていたと言います。
結婚 式当日に初めて相手の顔を拝見したなどということが、従順の証しのように語られたものです。
私が大学生の頃、カトリック信者と結婚をしたために教会からバッシングを受けた方がいました。ましてや未信者と 結婚 を前提におつき合いなどと言えば、破門も覚悟、不信仰のレッテルを貼られて当然でした。
イエス様は、私たちを積極的にこの世に遣わすことを願われました。世から取り去るのではなく、聖別して送り出すことを願われたのです。(ヨハネ17.15-18)
青年の 結婚 問題を考える時、私はもっと積極的にこの世に出て行くべきではないかと思うのです。
私たちの教会では牧師が勧めます。
「これぞ!という素敵な相手を見つけたら、未信者でもいいから、あなたの魅力で教会に誘いなさい。その人が真剣にあなたを愛し、あなたの神に関心を示すなら、救われるように必ず導きの手助けをしますから、一度連れていらっしゃい。面接をしましょう」と。
数回面接を重ねると、その人の霊的な状態は大概分かるものです。
「未信者は必ずしも「不信者」ではありません。むしろ尊い「信仰予備軍」と見るべきでしょう。
もちろん大風呂敷は広げてみたものの、箸にも棒にもかからず、別れてしまうケースもありますが、よしんばそんな場合でも、きっぱりと相手を見限るのに良いチャンスだと受け止めてもらうことにしています。
幸いなことに、それは少数派です。多くの場合、こうして連れて来られた青年たちは、やがて救われ、信仰告白をし、結婚 へと導かれます。
今では教会役員として、中心的な働きを担って下さっている方々もいます。積極的にこの世に出て、魅力的な異性と出会い、信仰に導けるなら、素晴らしいことではありませんか。
未信者に魅力などない、と反論されるなら、それは高慢だと思います。私たちは、ほんの少し前に救いを受けたに過ぎません。
しかもそれは、彼らを救いに導くという大きな責任を負うためです。この世には救いを待ち望む多くの人々が居るのです。
中には、やがてクリスチャンとして光り輝くだろう魅力あふれる原石の
ような 予備軍がいるのです。
結婚 は決して伝道の手段のためにあるのではありませんが、
手段になっても問題はないでしょう。
青年たちよ!もっと世に出て行きましょう。「キリストの香り」を携えて人々を魅惑しましょう。
今日も牧師館の台所机で祈ります。「彼らを聖別し大胆に用い給え」と。
(2007年7月22日付 リバイバル新聞 連載コラム
安食道子・筆 「教会事情裏表 牧師館の台所机よりその⑩」より
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