今度、『 鈍感力 』 という本を出したが、何人かの人から、変わった題名ですね」と言われる。
確かに 鈍いことが力 とは、なじみが無く、不思議な気がするのかもしれない。でも、鈍感 であることは、これはこれで立派な力になるのである。
(週刊新潮3月1日号「あとの祭り 」渡辺淳一・作 より)
◆すぐ寝てすぐ起きる
鈍感 なのがいい、と私が思ったのは、20代から30代の初め、まだ大学病院で医師をしていた頃である。
外科だったので、深夜、交通事故や喧嘩で怪我した人が運ばれてくる。
こういう時、医師は、ナースセンターからの電話ですぐ目覚め、運ばれてきた患者さんを診て、至急、適切な処置をする必要がある。
だがなかに寝起きの悪い奴がいて、何度、電話をしても起きず、ようやく起きて患者さんを診ても、即座にてきぱきと処置ができない。
特に出血が激しいような時には、こののろのろが致命的なミスにつながることもある。そこで外科医に必要なのは、寝起きのいいこと。
といっても、一晩中、起きているわけにいかないから、まず寝つきがよくて、かつ寝起きがいいこと。これは外科医、特に救急センターなどに勤める医師には、絶対必要不可欠の条件である。
だから、寝つきや寝起きの悪い男は、看護師さんたちから批判され、当然のことながら排除される。
ここで生き残るために必要になるのが 鈍感力 である。
多少、まわりが騒がしかろうが、気になることがあっても、すぐ眠れる。そして一旦、緊急事態が生じたら、直ちにはね起き、すぐ動き出せる。
こんな時、青白きインテリぶって、睡眠薬などを飲んでいるようでは、使いものにならない。また手術の時など、上司によく叱られる。
今はずいぶん穏やかになったが、昔は徒弟制度的な厳しさが残っていて、いろいろ嫌味をいわれた。こんな時、いちいち気にして落ち込むようでは、使いものにならない。
その時はたっぷり叱られても、翌日にはケロリと忘れて、また明るく前向きに仕事ができる。
そういう男でなければ、優れた外科医になれなかった。
◆没頭する力
この種の 鈍感力 は、一般の企業でも同じである。上司に小言を言われても、時に厳しく叱られても、とにかく謝り、翌日はまた元気に出社する。
こうした 復元力 がなくては勤まらないし、生き延びていけない。
また管理職にでもなった時に、部下の些細な癖や言動が気になり、苛々しているようでは、さらに一回り大きくなれない。
その意味で、それなりの地位についた人は、皆大なり小なり 鈍感 である。むやみに他人の目を気にせず、いい意味で自己中である。
同様にさまざまなジャンルで、それなりの仕事をした人は、皆、鈍感力 を秘めている。
例えば前回触れた歌手。この人たちは周りの目や思惑など無視して、どっぷりと歌の世界にはまり込むが、これこそ 鈍感力 以外の何物でもない。
同様に役者。たとえばラブシーンを演じる時、照れたり恥ずかしがっていては何もできない。周りに人がいようが、そこが煌々と明かりに照らされていようが、平気で演じられる。
これもまた 鈍感力 のたまものである。
さらにさまざまな楽器の演奏でも、そして絵画、彫刻のような創作でも、一旦熱中しだしたら周りを忘れる鈍感力がなければ、皆が感動するものは生み出せない。
いや、これだけではない。企業の新しいアイデアや計画、種種のプレゼンテーションも、一度やり始めたらそれ一筋に突き進む。
この 鈍感力 がなければ、全うすることは不可能である。
◆敏感の隣は過敏
今、日本人はあまりに 敏感 すぎるような気がする。わずかな人間関係に苛々し、傷つき、うまく適応できない。
そのまま1人で篭って鬱になり、人間嫌いになって、医師やカウンセラーを頼ることになる。
実際、企業に専属でいる医師は、かつては内科医が圧倒的に多かったのに、今は診療内科の医師がほとんどである。
どうして、日本人はこんなにひ弱で、敏感 になってしまったのか。
その最大の原因は、小さい時からさまざまな人間と接せず、一人一人過保護に育てられて自室に育てらて自室に閉じこもり、勉強かゲームしかしてこなかったからである。
人生でもっとも大切なのは、人と人が接して体得する人間学であるのに、つまらぬ知的な学問だけを取得する。
要するに、屁理屈だけ知って、人間を知らない。そういう男女が社会に出たら、超過敏な、ひ弱な人間になることは避けられない。
敏感 のすぐ先には、過敏 という病的状態が待っている。
こんな時代、鈍感力 はまさしく才能である。敏感 でいることは簡単だが、本当に 鈍感 であることは、それより数倍の体力と精神力が必要である。
今や 敏感 より 鈍感 が光る時代である。
もし、「俺は鈍いかも」と思ったら、これこそ才能だと思って、自信をもって前に向かって欲しいものである。
(週刊新潮3月1日号「あとの祭り 連載139 鈍さは才能」作・渡辺淳一より)
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