◆人は、自分のことを好きだと言う人のことを好きになる。
嫌いだと言う人のことを嫌いになる。
この当たり前の人性の理は、改めて考えてみるに面白い。
実際に人の世が、そんなふうに動いているということに、今さらながら感心するのである。
私は若い頃、このことがどういうことかわからなかった。
人間の関心がそういうところにあるということが、うまく理解できなかったのである。
たとえば、女性がいる酒場などで、女性たちは客を誉める。
ステキなネクタイですねから始まって、おしゃれですね、とってもいいわ、誰それに似てるって言われません?
とにかく相手を誉めるのである。つまり「お世辞」をいうのである。
この「お世辞」をいうものの存在、これが私には理解できなかった。なぜ事実と違うことをいうのか?
◆しかし、ある時気がついた。 お世辞を言うと、人は喜ぶ。
誉められると、人は嬉しいと感じる。お世辞を言うのは、その人の関心を買うためだ。
この人は自分のことがすきなのだと思わせると、その人は自分のことを好きになる。
自分が 好かれたい がために、人は人のことをよく言うのだ。
そう気がついてみると、なるほど誉められた客は喜んでいる。
そんなのは お世辞 なのに、自分は好かれている、モテているのだと思うのだろう。
そういういい気分になりたくて、男は飽かずああいう所へ通うのだ。女は お世辞で迎えるのだ。
おお、何とそういうことだったのか。
◆むろん逆もあるだろう。
好かれたい 男が、女を誉める。ステキだね、美人だね。
いい気分になりたい女は、そう言ってくれる男を好きになる。
なんだ、それだけのことである。他愛ない。
ああいうところにいる女性が、そういう言動をとるのは、本能なのか、仕事と心得ているのか、人性に通暁しているためなのかは知らない。
しかし、いずれにせよ、人間は自分に好意を抱く人間に好意を抱き、反感を抱く人間に反感を抱くというこの理を察知していることは確かである。
街中のセールスマンなどは、この種の人身掌握のプロだろう。
お客を誉め、いい気分にさせ、買わせる。怒らせてうまくゆくわけがないとわかっているのである。
それにしても、可笑しいではないか。商売の場面に限らない。
なぜ人は、自分を好く人が好きで、嫌う人が嫌いなのか?
自分のことをよく言う人のことを悪く言わず、悪く言う人のことを良く言わないのか?
この人心の正確な反応は、ほとんど物理の法則みたいじゃなかろうか?
◆やはり何かこう「自分」というものにとって、それが快なのか、不快なのかということであろう。
自分というものを、他人に認められる ことで認めるという、迂回路を経ているようである。
だから、自分を認めない人間は、自分を認めさせてくれないから、認められない。不快である、嫌いである。と、こうなる。
しかし、これまた改めて考えてみるに、自分が自分であるということと、他人に好かれる か嫌われるかということは、全然関係ないのではなかろうか?
他人に好かれても嫌われても、自分が自分であることに変わりはないからである。逆に、自分の側にも、好きな人間と嫌いな人間がいる。
しかしそれと、その人間が自分を好いているか嫌っているかはやはり関係ない。
その人間はそう思い、自分は自分で勝手にそう思っているだけだからである。
◆なんか当たり前過ぎることをいっているだろうか?私は発見だと思っているのだが。
しかし、この発見の観点から眺めてみると、この人の世では、なんとやはり、人は 人に好かれたい と必ず思い、人に嫌われたくないと、必ず思っている。
好かれたくて 嫌われたくないのが、人の世の原理なのである。やはりこれは凄いことではなかろうか。
他人にどう思われるかが、自分の行為の基準なのである。実に多くの人が、そうやって人生を生きてゆくのである。
端的に、これが社会というものである。
本当に驚くべきことだと私は思う。
(週刊新潮2月8日号連載コラム「人間自身 186」池田昌子・著より)
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