バレーボールのアメリカ代表選手として、1992年のバルセロナ・オリンピックで銅メダルを獲得。
さらに、日本の実業団に入団後は、東芝シーガルズを優勝に導き、Vリーグでは、ダイエー・オレンジアタッカーズの優勝に貢献したヨーコ・ゼッターランドさん(37)。
1999年に現役引退後も、スポーツ・コメンテーターとしてテレビやラジオ、雑誌などで幅広く活躍しているが、そんな彼女に猛烈にアタックしたのが、日本テレビ「ザ・ワイド」の司会者としてお馴染みの草野仁氏の長男・祐氏(37)である。
「2001年6月に『ザ・ワイド』の担当者から、出演依頼がありました」とヨーコさん。
「草野仁さんからの推薦だと聞き、驚きました。7月21日が番組の初日で、収録を終えた後、草野事務所のマネージャーから名刺をいただいたのですが、それが祐さんでした」
最初の印象は、「お父様にそっくり」だった。祐氏は上智大学文学部を卒業後、アメリカボストン大学大学院でマスコミ学を専攻。
その後、草野事務所のチーフマネージャーに。
「彼女はヒールを履いていて、185センチくらいあったので、見上げるような感じでしたが、きれいというよりかっこよくて、憧れてしまいました。もの凄く彼女に興味をもち、彼女のマネージャーから、経歴だけでなく、人となりやお酒が好きなことまで聞き出した」
もっとも、祐氏はすぐにヨーコさんにアタックしたわけではない。

「最初の1,2年は、彼女を女性としてというより、同じ世代のプロフェッショナルな人とみていた」
「ザ・ワイド」の収録後、言葉を交わす程度だった。
「お付き合いしたいと思うようになったのは2004年の夏。東京ドームで巨人x中日戦のペアシートが取れたので、彼女を誘いました。映画や観劇より、断られる可能性は低いと思ったからです」
祐氏の誘いにヨーコさんは快諾。
「草野事務所の接待と思ったので、スコアブックを用意しましたが、席が2人分しかないのでびっくり」
祐氏は、「最初のデートでつまらない人間と思われたら終わりですから、彼女を飽きさせないように色んなネタを仕込んできました。当時は、アテネ五輪が終った直後だったので、アテネネタを中心にインプットして、話題を次々に提供。試合を見ているどころではなかった」
5回途中で球場を後にし、東京ドームホテルで食事。
ここでも抜かりなく、ヨーコさんの嫌いなキノコを外した料理を用意させ、会話ラリーは深夜まで続いた。
その2週間後には、今度はヨーコさんが祐氏を帝劇の舞台「ミス・サイゴン」に招待する。
「あとはカラオケに行ったり、映画に行ったり。結婚を決めたのは2005年8月です。お忍びでハワイに行き、ホテルのバーで”今後ともよろしくお願いします”とプロポーズしました」
◆入籍は、祐氏の両親の結婚記念日に近い大安吉日の6月20日。
そして11月11日、ホテルオークラ平安の間で300人を集めて結婚披露宴を開いた。
「米国に留学していたこともあり、今の仕事を活かして将来アメリカの大学で日本のマスメディア事情に関する講義を行うのが夢です」と祐氏。
ヨーコさんは、子供が生まれたらメダリストに育てたいという。
(週刊新潮12月7日号連載コラム「結婚」より)
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