トレードマークのゴーグルを装着し、150キロ近いストレートと高速スライダーが”売り”のはずだった、中日ドラゴンズの山井大介投手(28)。
この1年の無念を晴らすように、12月10日、華燭の典を挙げる。寄り添う新婦は、幼稚園教諭の福谷友佳子さん(27)。
実は二人は、大阪・東泉丘小の同級生である。「棟が違うけど、同じマンションに住んでいました」と語るのは、友佳子さんの父・孝治氏。
「山井君のお父さんが少年野球チーム『大阪ドラゴンズ』の監督をやっていて、山井君はキャッチャー。友佳子の弟もそのチームに入っていましたから、山井君とは家族ぐるみの付き合いでした。友佳子が中学生になった時、名古屋に引っ越したのですが、二人は年に1回は会っていた」
山井投手は地元の中学から兵庫県の神戸弘陵高校に進学。1年の秋に投手に。
「バンドの練習で、僕が投手の変わりに投げていると、ピッチングコーチの目にとまりましてね、”山井、ちょっとブルペンで投げてみろ”と言われたのです」と山井投手。
120キロを超したら即、投手に転向だった。「結局、113キロしか出なかった。でも、冬の間に練習すれば速くなるかもしれないといわれ、投手になることに決めました」
高2の時、兵庫県大会で決勝戦まで進むが、惜しくも敗退。その後、奈良産業大学から河合楽器へ。
「高校時代から、プロを意識していましたが、縁がなかった。河合楽器の時、都市対抗野球の準決勝に先発して、8回まで2安打無失点に抑えたのがスカウトに評価され、中日に指名されたのです」
初勝利は2002年5月8日の巨人戦。6回途中まで1安打無失点と好投したが、その後がパッとしない。
その年は6勝を挙げたものの、2年目は、制球難克服のためフォームを変えたことが、裏目に出て、0勝。
「2004年は、9月の広島戦でジャンケンに勝って先発し、プロ初完封。その年の日本シリーズでは、第4戦に先発して勝利投手となりましたが、2005年は3勝、今季は右肩の故障で1軍登板ゼロでした」(スポーツ記者)
今オフの契約更改では、500万円減の年棒1900万円。そんな彼を、見守っていたのが友佳子さん。
山井投手が言う。「河合楽器時代、名古屋にいい治療院があると紹介されたのですが、友佳子さんの実家の近くだったので、彼女を食事に誘った」
この時は、まだ幼なじみの延長だったが、2002年8月に交際がスタートする。「彼女とユニバーサル・スタジオやディズニーランドに行きました。デートを重ねるうちに惹かれて行った。気心が知れているし、彼女といると、すごく落ち着くのです」
プロポーズは昨年2005年の1月。「彼女は昔から中日ファンで、僕が登板するときは、名古屋ドームで応援してくれたのですが、今季は僕が出ないので、テレビ観戦もしていません」
結婚を機に、一軍復帰を目指す。「肩を早く完治させ、来季は彼女を心配させないよう、頑張ります」
友佳子さんは、「ケガをしないよう、支えていきたい。彼は肉料理が好きですが、バランスの取れた食事で管理します」と励ますが、「彼は顔はゴツいけど、やさしすぎる。投手なんだから、もっと気が強くならないと」(浩治氏)
もうマゴマゴしてはいられない。
(週刊新潮11月30日号連載コラム「結婚」より)
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