「まさか、自分の娘と同年代の女性と結婚するなんてね・・・」と相好を崩すのは、月刊誌「Will」の花田編集長(64)である。
何しろ新妻は26才も年下なのだ。民主党・三谷光男代議士の公設秘書の神田一恵さん。
花田氏は1995年に男性誌『マルコポーロ』でホロコースト問題を特集、ナチス戦争犯罪追及団体から猛攻撃を受けて廃刊に追い込まれる。
その後、文藝春秋を退社し、いくつかの雑誌を手がけるが、いずれも休刊、"雑誌クラッシャー”と呼ばれたことも。
◆今はテレビやラジオのコメンテータとしても活躍中だ。
「昨年の4月に、『マスコミの学校』を始めましてね、半年で1期、40回の講義を行うことになっています。今は3期目ですが、彼女は1期生だったのです」と花田氏。
「彼女は、小説を書きたいをという希望を持っていましたが、僕にとっては、生徒の一人とうい認識しかなかった。ところが、学校が始まってまもなく、彼女から手紙が来たのです。」
◆ラブレターではなく、これからがんばります、という内容の手紙だった。

「文章はなかなか上手かった。講義の後は、いつも飲み会があるのですが、その時、生徒へのリップサービスとして、今度昼飯でもごちそうしてやるよといったら、また彼女から、"楽しみにしています”と手紙が来た。
それで、二人で渋谷の中華料理屋に行きました。」紹興酒も入り、話しは弾んだ。
「帰りは別々の方向だったので、彼女にタクシー代を渡したのです。すると、次に会った時に、領収書とお釣りを持ってきた。僕がこれまで付き合った中で、そんなことをする女性はいなかったので、あれと思いました」
◆この”あれっ”がしばしば恋の触媒になるのである。
「僕は4年前に妻をがんで亡くした後は、ネコ6匹との優雅な独身生活を楽しんでいました。仕事に追われて家庭を顧みなかったので、僕は結婚には向いていないと思っていた。再婚するつもりは、全くなかった」
ところが、「だんだん気になる存在になって、学校でもつい彼女の方に目が。明るい性格で、特に酒が入ると賑やか。今まで、僕が付き合ってきた女性にはないタイプ。時々、夜、電話で話をするようになっていました」
◆プロポーズは昨年の11月だった。
「彼女は、これまで何度か結婚を考えた相手がいたが、うまくいかなかったらしい。ある時、結婚の話になってつい、”俺でよければ”と言ってしまった」
◆人生は不可思議である。
「結婚式なんてハナからやるつもりはなかった。それは彼女も了解してたんですが、婚約指輪だけは欲しいというので、恥ずかしいから、僕は父親の顔をして、彼女とティファニーに行きました」
入籍は、神田さんの希望を叶えてジューンブライドの6月3日に済ませた。
「彼女の父親は、広島の呉市で造船所を経営していますが、結婚には大反対。今でも彼女の結婚の話題が出ると、すごく不機嫌になるそうです。ま、わからないでもありません」
神田さんの実家に、未だに挨拶に行けないでいる。
が、10月1日には100人を招き、椿山荘で披露宴を行う。
「僕はどっちみちそんなに長く生きないから、彼女のために、子供がいた方がいいかな」
(週刊新潮9月28日号「結婚」より
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